大江健三郎《暧昧的日本的我》日文原文谁有啊?急求啊
答案:1 悬赏:60
解决时间 2021-10-27 20:54
- 提问者网友:寂寞梧桐
- 2021-10-27 02:40
大江健三郎《暧昧的日本的我》日文原文谁有啊?急求啊
最佳答案
- 二级知识专家网友:撞了怀
- 2021-10-27 04:17
ある晩春の午后、私は村の街道に沿った土堤の上で日を浴びていた。空にはながらく动かないでいる巨きな云があった。その云はその地球に面した侧に藤紫色をした阴翳を持っていた。そしてその尨大な容积やその藤紫色をした阴翳はなにかしら茫漠とした悲哀をその云に感じさせた。
私の坐っているところはこの村でも一番広いとされている平地の縁に当っていた。山と溪とがその大方の眺めであるこの村では、どこを眺めるにも勾配のついた地势でないものはなかった。风景は绝えず重力の法则に胁かされていた。そのうえ光と影の移り変わりは溪间にいる人に始终慌しい感情を与えていた。そうした村のなかでは、溪间からは高く一日日の当るこの平地の眺めほど心を休めるものはなかった。私にとってはその终日日に倦いた眺めが悲しいまでノスタルジックだった。Lotus-eater の住んでいるといういつも午后ばかりの国――それが私には想像された。
云はその平地の向うの果である雑木山の上に横たわっていた。雑木山では绝えず杜鹃が鸣いていた。その麓に水车が光っているばかりで、眼に见えて动くものはなく、うらうらと晩春の日が照り渡っている野山には静かな懒さばかりが感じられた。そして云はなにかそうした安逸の非运を悲しんでいるかのように思われるのだった。
私は眼を溪の方の眺めへ移した。私の眼の下ではこの半岛の中心の山汇からわけ出て来た二つの溪が落合っていた。二つの溪の间へ楔子のように立っている山と、前方を屏风のように塞いでいる山との间には、一つの溪をその上流へかけて十二単衣のような山褶が交互に重なっていた。そしてその涯には一本の巨大な枯木をその巓に持っている、そしてそのためにことさら感情を高めて见える一つの山が耸えていた。日は毎日二つの溪を渡ってその山へ落ちてゆくのだったが、午后早い日は今やっと一つの溪を渡ったばかりで、溪と溪との间に立っている山のこちら侧が死のような影に安らっているのがことさら眼立っていた。三月の半ば顷私はよく山を蔽った杉林から山火事のような烟が起こるのを见た。それは日のよくあたる风の吹く、ほどよい湿度と温度が幸いする日、杉林が一斉に飞ばす花粉の烟であった。しかし今すでに受精を终わった杉林の上には褐色がかった落ちつきができていた。瓦斯体のような若芽に烟っていた欅や楢の绿にももう初夏らしい落ちつきがあった。阑けた若叶がおのおの影を持ち瓦斯体のような梦はもうなかった。ただ溪间にむくむくと茂っている椎の树が何回目かの発芽で黄な粉をまぶしたようになっていた。
そんな风景のうえを游んでいた私の眼は、二つの溪をへだてた杉山の上から青空の透いて见えるほど淡い云が绝えず涌いて来るのを见たとき、不知不识そのなかへ吸い込まれて行った。涌き出て来る云は见る见る日に辉いた巨大な姿を空のなかへ拡げるのであった。
それは一方からの尽きない生成とともにゆっくり旋回していた。また一方では卷きあがって行った縁が绝えず青空のなかへ消え込むのだった。こうした云の変化ほど见る人の心に言い知れぬ深い感情を唤び起こすものはない。その変化を见极めようとする眼はいつもその尽きない生成と消灭のなかへ溺れ込んでしまい、ただそればかりを缲り返しているうちに、不思议な恐怖に似た感情がだんだん胸へ昂まって来る。その感情は喉を诘らせるようになって来、身体からは平冲の感じがだんだん失われて来、もしそんな状态が长く続けば、そのある极点から、自分の身体は奈落のようなもののなかへ落ちてゆくのではないかと思われる。それも花火に仕挂けられた纸人形のように、身体のあらゆる部分から力を失って。――
私の眼はだんだん云との距离を绝して、そう言った感情のなかへ巻き込まれていった。そのとき私はふとある不思议な现象に眼をとめたのである。それは云の涌いて出るところが、影になった杉山のすぐ上からではなく、そこからかなりの距りを持ったところにあったことであった。そこへ来てはじめて薄り见えはじめる。それから见る见る巨きな姿をあらわす。――
私は空のなかに见えない山のようなものがあるのではないかというような不思议な気持に捕えられた。そのとき私の心をふとかすめたものがあった。それはこの村でのある暗夜の経験であった。
その夜私は提灯も持たないで暗の街道を步いていた。それは途中にただ一轩の人家しかない、そしてその家の灯がちょうど戸の节穴から写る戸外の风景のように见えている、大きな暗のなかであった。街道へその家の灯が光を投げている。そのなかへ突然姿をあらわした人影があった。おそらくそれは私と同じように提灯を持たないで步いていた村人だったのであろう。私は别にその人影を怪しいと思ったのではなかった。しかし私はなんということなく凝っと、その人影が暗のなかへ消えてゆくのを眺めていたのである。その人影は背に负った光をだんだん失いながら消えていった。网膜だけの感じになり、暗のなかの想像になり――ついにはその想像もふっつり断ち切れてしまった。そのとき私は『何处』というもののない暗に微かな戦栗を感じた。その暗のなかへ同じような绝望的な顺序で消えてゆく私自身を想像し、言い知れぬ恐怖と情热を覚えたのである。――
その记忆が私の心をかすめたとき、突然私は悟った。云が涌き立っては消えてゆく空のなかにあったものは、见えない山のようなものでもなく、不思议な岬のようなものでもなく、なんという虚无! 白日の暗が満ち充ちているのだということを。私の眼は一时に视力を弱めたかのように、私は大きな不幸を感じた。浓い蓝色に烟りあがったこの季节の空は、そのとき、见れば见るほどただ暗としか私には感覚できなかったのである。
私の坐っているところはこの村でも一番広いとされている平地の縁に当っていた。山と溪とがその大方の眺めであるこの村では、どこを眺めるにも勾配のついた地势でないものはなかった。风景は绝えず重力の法则に胁かされていた。そのうえ光と影の移り変わりは溪间にいる人に始终慌しい感情を与えていた。そうした村のなかでは、溪间からは高く一日日の当るこの平地の眺めほど心を休めるものはなかった。私にとってはその终日日に倦いた眺めが悲しいまでノスタルジックだった。Lotus-eater の住んでいるといういつも午后ばかりの国――それが私には想像された。
云はその平地の向うの果である雑木山の上に横たわっていた。雑木山では绝えず杜鹃が鸣いていた。その麓に水车が光っているばかりで、眼に见えて动くものはなく、うらうらと晩春の日が照り渡っている野山には静かな懒さばかりが感じられた。そして云はなにかそうした安逸の非运を悲しんでいるかのように思われるのだった。
私は眼を溪の方の眺めへ移した。私の眼の下ではこの半岛の中心の山汇からわけ出て来た二つの溪が落合っていた。二つの溪の间へ楔子のように立っている山と、前方を屏风のように塞いでいる山との间には、一つの溪をその上流へかけて十二単衣のような山褶が交互に重なっていた。そしてその涯には一本の巨大な枯木をその巓に持っている、そしてそのためにことさら感情を高めて见える一つの山が耸えていた。日は毎日二つの溪を渡ってその山へ落ちてゆくのだったが、午后早い日は今やっと一つの溪を渡ったばかりで、溪と溪との间に立っている山のこちら侧が死のような影に安らっているのがことさら眼立っていた。三月の半ば顷私はよく山を蔽った杉林から山火事のような烟が起こるのを见た。それは日のよくあたる风の吹く、ほどよい湿度と温度が幸いする日、杉林が一斉に飞ばす花粉の烟であった。しかし今すでに受精を终わった杉林の上には褐色がかった落ちつきができていた。瓦斯体のような若芽に烟っていた欅や楢の绿にももう初夏らしい落ちつきがあった。阑けた若叶がおのおの影を持ち瓦斯体のような梦はもうなかった。ただ溪间にむくむくと茂っている椎の树が何回目かの発芽で黄な粉をまぶしたようになっていた。
そんな风景のうえを游んでいた私の眼は、二つの溪をへだてた杉山の上から青空の透いて见えるほど淡い云が绝えず涌いて来るのを见たとき、不知不识そのなかへ吸い込まれて行った。涌き出て来る云は见る见る日に辉いた巨大な姿を空のなかへ拡げるのであった。
それは一方からの尽きない生成とともにゆっくり旋回していた。また一方では卷きあがって行った縁が绝えず青空のなかへ消え込むのだった。こうした云の変化ほど见る人の心に言い知れぬ深い感情を唤び起こすものはない。その変化を见极めようとする眼はいつもその尽きない生成と消灭のなかへ溺れ込んでしまい、ただそればかりを缲り返しているうちに、不思议な恐怖に似た感情がだんだん胸へ昂まって来る。その感情は喉を诘らせるようになって来、身体からは平冲の感じがだんだん失われて来、もしそんな状态が长く続けば、そのある极点から、自分の身体は奈落のようなもののなかへ落ちてゆくのではないかと思われる。それも花火に仕挂けられた纸人形のように、身体のあらゆる部分から力を失って。――
私の眼はだんだん云との距离を绝して、そう言った感情のなかへ巻き込まれていった。そのとき私はふとある不思议な现象に眼をとめたのである。それは云の涌いて出るところが、影になった杉山のすぐ上からではなく、そこからかなりの距りを持ったところにあったことであった。そこへ来てはじめて薄り见えはじめる。それから见る见る巨きな姿をあらわす。――
私は空のなかに见えない山のようなものがあるのではないかというような不思议な気持に捕えられた。そのとき私の心をふとかすめたものがあった。それはこの村でのある暗夜の経験であった。
その夜私は提灯も持たないで暗の街道を步いていた。それは途中にただ一轩の人家しかない、そしてその家の灯がちょうど戸の节穴から写る戸外の风景のように见えている、大きな暗のなかであった。街道へその家の灯が光を投げている。そのなかへ突然姿をあらわした人影があった。おそらくそれは私と同じように提灯を持たないで步いていた村人だったのであろう。私は别にその人影を怪しいと思ったのではなかった。しかし私はなんということなく凝っと、その人影が暗のなかへ消えてゆくのを眺めていたのである。その人影は背に负った光をだんだん失いながら消えていった。网膜だけの感じになり、暗のなかの想像になり――ついにはその想像もふっつり断ち切れてしまった。そのとき私は『何处』というもののない暗に微かな戦栗を感じた。その暗のなかへ同じような绝望的な顺序で消えてゆく私自身を想像し、言い知れぬ恐怖と情热を覚えたのである。――
その记忆が私の心をかすめたとき、突然私は悟った。云が涌き立っては消えてゆく空のなかにあったものは、见えない山のようなものでもなく、不思议な岬のようなものでもなく、なんという虚无! 白日の暗が満ち充ちているのだということを。私の眼は一时に视力を弱めたかのように、私は大きな不幸を感じた。浓い蓝色に烟りあがったこの季节の空は、そのとき、见れば见るほどただ暗としか私には感覚できなかったのである。
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